2011年7月31日日曜日

フカヒレを食べながら、最後の私たちの願い

今日は普段行かない一流高級ホテルへ。
丸坊主姿。着ていく服がない…。
でも、ヨギーですので、気にしないで、インド製の綿シャツです。
そこで、カーマ喜びがたくさんの中華料理をいただきました。
およばれで、あれこれ自分では注文しなかったので、
鶏もあったし、フカヒレなんぞもいただいて、
普段ベジタリアンのヨギーとしては、美味しくも、胸が痛む、いやおいしい、
とろぉり、ねっとり、濃厚なスープ。そしてネギとなぜか安価なモヤシ…
ああ、こんなものを食ったら、千と千尋のお父さんになってしまう…、
えーい今日は気にするな、
ビールがおいしい!
という夕食でした。


そんなアダルマでラジャシックな私で、なんですが、前回の続きです。
(アダルマ=自然の法則に従っていない。ヨギーは動物性のものを食べることを避けているため。ラジャシック=激しい調子)

ここまでで、私たちが生きている間で望んでいることをひとつひとつ明らかにしてきました。

一つは、長生きができて(アルタ:安全)、
そして、楽しみ(カーマ)もたくさんあって、
その先に、
自然とか世界の人たちとの関係性の中で、
できるだけの自分の役割を果たして、
何かの役に立って(ダルマ:宇宙の法則を求めて)、


さて、最後の望みです。
私たち、自分の本当の望みとはなになのか……

最後の望みは、

わたしとは、いったい、誰なのか?
私はナニモノか!?

を知りたい!ということではないでしょうか。

ここは、哲学です。
この件に関しては、誰もあまり触れたがらない。
昔、お父さんに尋ねたような気がします。
自分とは何なのか。
でもね、大人はずるいので、誰も答えてくれないのです。
きっと答えがないからです。


ところが、そこのところをヨーガは教えてくれます。

生まれてきた理由は何なのか。
ここに私がいる理由は。
長生きをする私は誰なのか。
楽しんでいる私は誰なのか。
嘘をつく私は誰で、
人を騙す私は誰で、
悲しみにくれる私は誰なのか。
自然に親しむ私は誰で、
だれかのために一肌脱いでいる私は誰なのか。
そして、この死にゆく私は誰なのか。



ヨーガは人々の最後の願いは何なのかも明らかにします。

私とは、本来は、完全な自由、モークシャである。
というのが、ヨーガ、ヴェーダンタの答えです。

この時、ヴェーダンタでいう「自由」という言葉自体が、
一般の言葉からはかけ離れています。

完全な自由、ということなので、さらに難しい。

完全ということは、不完全ではない、限りがないということです。

いやいや、いやいや
限りということでは、自分たちは「限り」ばかりに日々気づいています。


朝起きるときは、もっと眠りたい、時間という限りに気づくことから始まります。
出来るだけ駅まで早く着きたい、それは距離という限りに気づいていることです。
速く走るにも肉体に限界があり、
多く仕事をこなそうとしても、頭の限界があります。
財布の中身には限界があり、
わたしの美しさにも限界があり(笑)
過去を、高学歴に変えるわけにも行かず、
バイリンガルが良かったなーといっても親を変えるわけにも行きません。
だから外国に行けば、言葉の壁があり、
職業を変えてみようかな、といってもなかなか簡単にはいかないのです。

そんな限りばかり、限界ばかりの私たち

そんな私の本質は、
本当は「完全な自由」、モークシャ
である、とヨーガは教えてくれます。

すばらしい結論!
あるいは、
ほんとなの? ぶっとんでいませんか?
なんだか甘い香りのする言葉?
そう思うのはあたりまえだと思います。

だから、だまされないようにしましょう(笑)、
自分たちが一つ一つ確かめながら、
学んでいく事がらです。

ですので、まずは、ヨーガは、健康ではなく、美容ではなく、
最後はモクシャを求めているんだなぁ
ということが、なんとなく理解できればそれでいいと思うです。

2 件のコメント:

  1. みどりんご2011年8月3日 9:36

    ほんとに、最初は、この限られた、ちっちゃな自分が
    自由?!
    まさか~って思いましたね。
    怪しいっ。(笑)

    けど、いろんなものを外側に求めて、一時的には満たされても
    また不安で、手放すことが怖くて、むなしくて・・・・。
    を繰り返し、行きつくところはこれなんだって、
    思います。

    騙されないように、(笑)ひとつひとつ理解を深めていきましょう♪

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  2. みどりんご さん
    コメントありがとうございます!
    そう、怪しいっ(笑)という感覚、忘れないようにしたいなぁと思います。
    そして怪しいなぁということをよく見てみると、
    ひとつひとつ確かめられることの積み重ねから、そびえるヴェーダンタの峰へと登ることができるんですよね。

    ところで、サンスクリットグループスタディ参加しようと思ったら、仕事と重なっていましたー。とっても残念ですー

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