今回は、
ヨーガって一体なんでしょうか……?
ということに挑戦してみます。
「ヨーガ」のもともとの言葉の意味は、
つなぐ、結う、という意味だと言われます。
つなぐということは、一つ以上の何かがあって、それがつながるということです。
では、何と何がつながるのでしょうか。
一つは、ヨーガをしている本人です。
「私」、がまず一方にあります。
そして私が「何か」とつながります。
さて、私は何とつながりたいでしょうか。
言い換えれば、何が私たちの願いなんでしょうか。
一つは安全です。
自分たちは生命の安全を願っているのです。
生まれ持っての本能は、自分の命を守るために、素晴らしい機能を与えてくれています。
生まれたての赤ん坊を水の中に浮かべてみたら、
その赤ん坊は、その本能で息を止めて、水をかき分けようとします。
水の中から出してあげてみれば、空気のあることを知って、息を吐き出して、吸い込もうとします。
教えられなくても、生命の維持を図っています。
私たちの願いの一つ目は、生命が安全であることです。
これは動物や植物とも共通の願いです。
本当の自分たちの願いはなんだったのか、を確認することになりました。
今年の3月11日に、地震で、津波で、そしてそれ以降、放射能汚染で、
広島・長崎、東京・大阪空襲以来経験したことのない大規模な生命の危機を感じ続けています。本当の自分たちの願いはなんだったのか、を確認することになりました。
私たちの願い事の二つ目は、
喜びです。
生命が安全であれば、そこに安心が生まれます。
安心があるところには、楽しみを求める心が出てきます。
いのちをつないでいく食べ物や空気や水や睡眠が満たされたら、
そのうちに自分というものの存在に気づきます。
この時、ただ、生きているだけでは面白くないのです。
これは動物や植物より、人間に発達した願い事です。
まず、子供の時には、おいしいと感じる食べ物や、
心地のよいベッドや、面白くおかしいおもちゃ、アトラクションが欲しくなります。
おかあさんに褒められたくなるだろうし、注目をあびることも喜びです。
大人になれば、かなり複雑になります。
たくさんのお買い物ができるようにお金があることや、
誰よりも自分の価値が感じられるように、地位や名誉、権力、
誰よりも賞賛を浴びることができる、美貌、ファッション、
資格をたくさん持ったり、好きな音楽をたくさん聞いていたり、
喜びを追求するようになります。
ここまでは私たちの願いで実に分かりやすいものです。
きっと誰もが願っています。
ではヨーガとは、
「私」が「喜び」とつながること
なんでしょうか。
たとえば、身体の健康は、安全+喜びです。
ヨーガをすれば健康になります。
これは喜ぶべきことです。
なので、ヨーガは私が健康になること、という答えでも、もちろんいいとおもいます。
ほかにも、少しヨーガを続けてきた人はこう思うかもしれません。
ヨーガでかっこいいアーサナができるようになって嬉しいですが、
それよりも、ココロが安定してきました。
ココロが健全です。
これが目的じゃないでしょうか。
ココロが健全なことも「喜び」です。
では、ヨーガでココロが安定することが目的でしょうか。
答えは、
「いいえ」です。
ヨーガは「私」と「安全」や「喜び」を結ぶものではないのです。
ヨーガの教えのなかでも最も重要な教え、ヴェーダンタでは、私たちの生きている中で、願い事は4つあるように見えると言います。
3つめがあって、さらに4つめもあるんですね。
喜び、快楽、で望みは叶えられたはずなんですが…。
喜び、快楽、で望みは叶えられたはずなんですが…。
人間には、こんなにも望みがあったっけ?
この続きはまた次回です。
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