2013年5月31日金曜日

結婚はヨーガ?

明日は親戚の結婚式があります。
6月ですからジューン・ブライドですね。
6月の花嫁、です。

ヨーロッパでは6月の花嫁は幸せになれるといういくつかの伝説があるそうです。
なかでも素敵な伝説では、6月Juneはローマ神話で結婚をつかさどる女神である「JUNO」に由来し、結婚や女性の権利を守護することから、6月の花嫁は幸せになれるんだそうですよ。

インドではお月様は、チャンドラという女神です。チャンドラはまた、ヴァルナともいい、月は神々のお酒の杯といわれます。
お酒、神酒ソーマも月の神様。
ソーマとはアムリタ、不死の飲み物のことを指しますね。

このソーマはお酒に似たものではなかったか、といわれますが、特定することは困難だそうです。考えられるのは、日本でも神社での神事や、天皇家の祭り事では大麻を使ったりしていますが、そのような神聖な薬草やきのこだったかもしれません。


なんにせよ、霊薬であり、神様と交流するための道具だったのでしょう。

さて、昔はこのソーマやアムルタ、アムリタのことを、一回飲んでみたいなぁ、なんて考えたりしたものでした。

不死、というところに惹かれていたのではなく、神様と交流することができるんじゃないのか?というところが興味深かったのです。


そういった薬草の話は世界中の古い文明にはたくさんあって、直接神様と交流していた人々がいて、きっと現代人には及びもつかない智慧を得ていたんだろうと想像するのです。
大阪万博記念公園には民族学博物館がありますが、たくさんの展示物を見ればその豊かな智慧が溢れかえっているのが理解出来ます。
個人的には現代美術を見ているよりも、深い智慧が感じられると思うのですが、どうでしょうか……。


さて、アムリタとはなにか……。

アムリタってどこかに生えているすっごいキノコだったり、
洞窟の奥につながっている地下都市の中の秘宝だったり、
そんなことを想像していたのですけれど、そうじゃなかったんです(笑)

ヴェーダーンタを学ぶと、明白になります。
アムリタは不死です。
死なないということは、生まれもしない、ということです。

生まれることなく、死ぬことでもない、
この自分の身体や考えからは自由なものです。それこそアムリタです。

この自分の体や考えは生まれて来ました。
成長し、一瞬たりとも止まることなく変化し続けて、やがで衰えて、
そして死んでしまいます。
生まれてきたものは、必ず死にます。
生まれてきたんだけれども、死なないもの、死ななくなったもの、
というものはあるでしょうか?

そんなものは、この宇宙を探してみてもどこにもありません。

いやいや、私の身体を構成している原子は死なないでしょう?
エネルギーは形を変えるけれど、ずっとありつつけるのでは……?

自分たちの最小単位である素粒子、これはエネルギーですが、素粒子だって宇宙の始まりに生まれてきました。
ですから、素粒子だって、この宇宙だって始まりがあります。

でも原子や素粒子にも終わりがあります。宇宙は最後は一つの収縮をむかえてなくなるか、
泡が次から次へとはじけるようになるのか、わかりませんが、
宇宙も素粒子も始まりがあり、終わりがあります。

ですから、アムリタではないのです。

であれば、アムリタはどこにもないかもしれません。
生まれず、死なないもの、そんなものない!?


ここからは科学の世界を超えてしまいます。
ヴェーダ、ヴェーダーンタの世界です。

この宇宙は何も無いところから、突然生まれたのでしょうか?
何も無いところから100万円を出してみることはできるでしょうか?
できないですよね。出してみたい気持ちはありますが(笑)
なにかがなければ、生まれることはできません。

100万円を出してみたい気持ちは「あった」りしたように、
このなにか「ある」があるので、そこから生まれることができます。

この「ある」こそアムリタです。

ある、とは存在のことです。

非存在から、存在は生まれません。

存在=ある、が無ければ、宇宙は始まりません。
そして、この「ある」は誰がそれを言うのでしょうか?
ある、というとき意識があります。
意識があるから、「ある」といいます。
意識って何?
意識って誰?
この意識こそ、「わたし」です。
わたしがわたしである、という意識がありますよね。
ないですか?
なければ、このブログを読んではいないですよね。
あるいは、読もうとしているのに、目が閉じていってしまっていたとか(笑)

意識は、考えの元にあるものです。
このわたしは身体でもなく、考えでもない、わたし=意識です。

このわたし=意識は生まれもしなければ、死ぬこともありません。

え?

わたしは死なないの?
だって生まれてきたし、わたしのおばあちゃんだって死んでいったじゃないですか?

そう。
わたしのことを身体だと考えている時、
このわたしは生まれますし、死にます。

けれども、わたしが体だと考えていない時でも、このわたしはあります。
例えば、夢のなかのように。

夢のなかではわたしはこの身体から自由です。
職業からも自由です。役割からも自由です。


けれども、夢のなかでは自分の記憶から生み出した世界の中にいて、
そしてそこに自分自身を置きます。
夢の中では夢の体を持ちます。
そして、その自分自身で創りだした環境に縛られて、夢の中の役割に縛られます。

わたしは、夢のなかにいる時、自分は夢の登場人物を装っていることを忘れて、夢そのものの中に閉じ込められます。
起きている世界では会社員をしていても、
夢の中では学生だったりします。
そしてなぜか学校ではなく、会社に遅れそうになって電車に飛び乗って、走っていきます。
もうだめだー、テストもゼロ点だー
と思ったら、はっと気が付きます。
これは夢だったのだと。わたしは夢の世界、夢の体から自由であることを知ります。

それに似て、起きている時、自分は仕事、つまり役割を自分だと思い、身体を自分だと思います。

仕事のあいだであったり、学校であったり、地域の中であったり、
人と人とのつながりにおける役割は、私自身でしょうか?

いいえ。


役割も、私自身ではなく、自分が所有し、使うことができる道具です。
あるいは、一つの自分の一部であり、一つの表現です。
自分自身と役割とは別物です。
舞台で演じている役者は、役を大事に演じていますが、役そのものになりきっていますが、自分自身を忘れることはありません。
「オーロミオ、おージュリエット」
もし自分が役であることを忘れてしまったら、舞台が終わっても、「おージュリエット」
と言ってしまいます。
そうしたら、
ジュリエット役の人には、バシッとどつかれます。
そこでロミオは バタッと倒れるしかない
監督には役を下ろされるでしょう。
あまりにも役を自分だと勘違いしたら、問題なのです(笑)


結婚は大切な役割を持つことです。
男であり、女であります。
夫であり、妻です。
父であり、母です。
役割の中で大切な義務が生まれます。
この役割にはいいも悪いもありません。

いいも悪いも無いけれど、
役割には正しい行い、と正しくない行いがあります。
正しいとは、すべての関係の中で、環境の中で他を傷つけず、自分を大切にするという行いをするということです。正しくない行いとは、環境の中で他を傷つけ、自分をだめにする、卑下することです。
正しい行いをすること、正しい役割を演じていくためには、この身体も考えも、周りの人の考えも、身体も、この環境も、世界も、地球も、意識を持っている、生命であることを理解することが必要です。生命はわたし個人の小さな考えで生まれるものではありません。
無秩序に、ばらばらにあるものが、たまたまデザインされて、機能を持って生まれることはありません。その背後には作者が必ずいます。
この身体を創りだした作者がいます。

作者とはだれ?
お父さんやお母さんが作者でしょうか?
いいえ、その父や母もまた、創りだされたものです。
私たちがこの背後にある作者を理解していくこと。
生命を大切に観察していくこと。
そこには作者がいます。
その作者のことを昔の人は、たくさんの尊敬の言葉で言いました。
チャンドラ、ヴァルナ、ソーマ、お月様。
ヴァーユー、風の神様。スーリア、太陽の神様。プルティヴィ、ガイア、地球の神様……

すべての世界、すべてのこの私の身体も心も、尊敬されるべき作者の現れです。
この見え方、理解が、結婚によってよりリアルになってきます。
最終的に、自分は夢のなかに閉じ込められているのではなく、
自分は夢から自由であることを知る、
つまり、私自身は生まれもしない、死にもしない、意識、不死のアムリタである、と理解するための大切な生き方。
この生き方こそ、本当の結婚であり、ヨーガです。

結婚には、ですから、まずは相手を傷つけないこと。
自分を尊重すること。そのような正しい役を演じていくことがとても大事です。
そして、お互いが尊重、尊敬の気持ちをはぐくんでいくこと。

さらに、社会に対しても同じようにしていくこと。
環境こそ自分たちを生かしてくれていることを知ること。
木が生きているから、森があるのではなく。
森があるから、木が生きていける、という見え方を理解していくこと。
この大きな森は、さらに大きなこの大地であり、大船原であり、空であり、風であり、
太陽であり、星々であり、空間であり、それらが私たちをはぐくんでくれていることに
感謝をささげる気持ちを育てること。
仕事、役割は大きな作者、存在、生きる宇宙に対して行う、捧げものです。
結果は、その宇宙からのプレゼント、いただいた贈り物です。
どんな結果も、つらいことも。贈り物。
自分のこの小さな考えでは、狭い視野では、贈り物には見えていないかもしれないけれど。
いつかそれがプレゼントだと見えるようになりますように。
あれ?お祈りになってますね。


もちろん、結婚していなくても、ヨーガは可能です。
 あれ?いままでの話をひっくり返しているみたいですね(笑)


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