2014年2月17日月曜日

ありがたい、をそのままに

こちらインドは青空です。気温は20度くらいでしょうか。

なんと贅沢な気候なんだろうとしみじみ思います。



インド伝統のヴェーダ(知識)を学び、体験している日々ですが、

これもまたなんて贅沢な時間なんだろうと、毎回思います。

学生の時には勉強することの贅沢さなんてものは、考えませんでした。

あのときもっと勉強していれば....(泣)

時間とはもっとも貴重なもの、贅沢品です。

贅沢品を英語で言えばLuxury ラグジュアリーといいます。

Luxとは光を意味しますね。

光は太陽が与えてくれています。


太陽といえば、

「最近曇りとか雪ばかりで、もっと晴れてくれないと洗濯物が乾かない」

とか、「太陽光発電で、エコに」

などなど、ついつい損得、経済に結びつけて考えてしまうかもしれませんね。


昔の人はきっと違っていたように思います。

太陽といえば、ありがたいなあ、と感じていたので、お天道さまに手を合わせる、

ということは日常にあったのではないでしょうか。

日本昔ばなしの世界です。

太陽、光はありがたいもの、つまり贅沢品だったのです。Luxury、ラグジュアリーです。

お天道さまという言葉も、そこには太陽と空、その道、太陽の動き、季節、という意味が含まれています。

自然は贅沢品で、全てを与えてくれるもの、植物を育て、動物を育てる、ありがたいもの。

そして、時には台風や嵐や大雪、災害をおこして、命も全てを奪うもの、そして新しい命を与えるものでもありました。

私たちはこのような贅沢品をいただいたとき、

その時だけは感謝します。

自転車が初めて家に来た時。

なんて素敵なモノが内に来てくれたのだろうと大喜びしました。

でも、いつの間にか当たり前になっていきます。いつの間にか必需品へと変わります。

なければ困る。と言います。

車が初めて家に来た時、大喜びです。パパもママも子供も。

でも、いつの間にかそれは必需品へと変わります。

車が故障でもしようものならば、メンテナンスを怠ったパパに非難が集まります。

携帯電話が来た時、なんと贅沢なものだろうと思ったものです。

でも、いまや無い人は社会から外れている、というくらい必需品へと変わりました。

スマートフォンを持つこと。贅沢品だったのが、きっと今年中には必需品へと変わります。

彼氏ができたとき、大喜びして、結婚して旦那になってしばらくすると

どうなっていますか??.......(笑)


私たちは贅沢品、LuxuryをLuxuryとしておくことが、なかなかできません。

贅沢品 Luxuryを必需品 Necessitiesに変えてしまいます。

モノは必ず壊れたり、失われたり、ふるくなったりしていきます。

ですから必需品はいつも新しくする必要が出てきます。

必需品が壊れたりすれば、必ずストレスになります。

やがて必需品に振り回されるようになります。

必需品のために、稼ぎを増やさなければいけません。

老後のために貯金も必需品です。ですから貯金を増やさなけばいけません。

こうして必需品のために人生の大半は費やされることになります。


わたしたちは自分の人生をもっと自分自身のために費やす「必要」があるのではないでしょうか?

その必需品は本当に必需品ですか?

そこから気づいていくことがたくさんあります。

この必需品は実は贅沢品ではなかったでしょうか?

ありがたい、と感謝すべきものではなかったでしょうか?



私たちは自然の絶妙なバランスの中でしか生きることのできない、命です。

貴重な命、それを育む自然、エネルギーを頂いておきながら、

これらを無尽蔵にあると勘違いしていきます。

地球や宇宙を使い果たしていこうとしています。

ニュースの続報を見ていると、日本の大雪は大災害になりそうな勢いだとか。

一方で、インドでは場所にもよるでしょうが、雨が降るときに降らず、

この地でも今月は2回しか雨がない、といいます。

水道から出る水は日本のように出ることはなく、

チョロチョロと出てくるだけ。

蛇口をひねると水が出ることは贅沢なことなのだなぁとしみじみと気づきます。


Luxury 贅沢品を必需品 Necessitiesとして受け取るのではなく、

Luxury、贅沢品というのはなかなか得がたいこと、つまり「有り難い」こと、

有り難いものを有り難いものとして受け取ること。

あるがままのものを、あるがまま受け取ること。

この感性と考えにいたる過程こそが、心の成長だと思うのです。



と、ここまで読んでいただいて、

ありがとうございます(笑)