2014年3月30日日曜日

櫻 桜 サクラ




桜が咲き始めました。


普通、桜といえば、「お花見」、「宴会」、「楽しいもの」ですよね?

僕にとっては桜はいつも苦しいものでした。


どうして桜が苦しいのでしょう?

実は昔はカメラマンをしていたのです。そういえば。笑



この時期は桜前線にそって中国地方や四国、関西を車で走り回っていました。

海岸線から都市部にかけては気温が高いので、そちらの方から撮影が始まります。

場所で言えば高知市内、高知城から始まるでしょうか。

そして広島市内。岡山市内です。

でも山手の方にも良い桜がポツポツあったりします。

津山城の桜は何度も通った場所でした。


桜カメラマン、というのは素晴らしい仕事です。

いつも最高の桜の時期に、最高の場所で、そのサクラを見ることができるのですから。



まだ固い、紅色のつぼみ。

山の中の一本桜。

全体が桜色にうめつくされる山や河川の土手。

ライトアップされるお城の石垣。

提灯がたくさん吊り下げられて、屋台が並んで、ブルーシートの上で盛り上がるサラリーマンたち。

お城のお堀に吹雪く桜の花びら。

雨上がりの水たまりにぎっしりとうめつくされていて。

あっという間に一番いい時期は去っていきます。
 

寂しいというのもありました。

みんな花見している中、一人で朝から夜桜まで撮影していたりしているのですから。

夜遅くまで撮影して、朝早くから移動し、どの場所で終わるか読めないことも多く、

車の中で寝泊まりすることがほとんどです。

そうして日本中の桜を見たような気分になります。


今年、数年ぶりの日本の桜を見ます。

撮影もすることなしに。

純粋に桜を見ることができます。

何ものからも自由に見る、ということはほんとうに難しいことです。

カメラマンであるという自分から自由で、いろいろな思い出から自由に見る。

それはつまり、思い込みや偏見から自由になるということです。


普通みなさんが花見をしているとき、仕事や立場、状況から開放されています。

すべての思い込みから自由に桜を見ることができます。

全てから自由であるとき、実は桜が美しいのではなく、その人自身が美しいのです。

その人は桜と一つになって、なにかの必要だとか、欲望とか、不安から自由になります。

肩書や、容姿、才能、罪や、悩み、そんないろいろな自分から自由な自分になります。

ただ美しさと一体になっています。

その瞬間に居続けることができるとき、その人は美しいのです。

桜だけではありません。

何かを見るとき、自分自身の欲や不満から自由になって、開放されてモノを見る。

そのとき、世界は素晴らしいということが見えてきます。


サクラが咲きはじめの時も、五分咲きの時でも、満開の時でも、散り始め、

散り終わりを迎えて、葉桜であっても、

自由にモノを見ることができれば、それはいつでもすばらしい。

そのとき、自分が美しく、そして世界は本来美しいのです。