いのちというのはいつも変化し続けているから生きています。
このブログは変化していなかったので、生きてはいなかったことになります。
ブログはいつもいろいろと更新していることが大切です。
ブログの方は生きてはいませんでしたが、
ブログの書き手の方は、日々の変化でした。
あまりの変化についていくのが精一杯。
このように文章にすることができるのはうれしいかぎりです。
さて、2月に子どもが誕生し、
しばらくして(無茶なことに)
6月からこの11月までチャクラ&瞑想ワークショップをおこなっていました。
ひと月に一度のペースでした。
教えようとすると、気づくことが多く、
結果、学ぶことが多いのです。
ですから、ワークショップが開催できた事自体が、感謝でいっぱいです。
今回、子どもの誕生、成長を見て、人について理解したことがたくさんありました。
全くの純粋で無垢な基本的土台となる人間、それが赤ん坊です。
自然そのままの人は、プログラミングだけで成長していきます。
それらの成長にはネコなどの動物とはまた違う知性の成長があり、
その成長はとても興味深いものです。
すさまじい速度での成長が起きていますが、
あたりまえ、ではない、驚異的な成長です。
例えば、指を刺して対象を見て声を出す、といったこと。
これらは積み重ねてきた観察、興味、想像、他者との関わり、それらの喜びから、突如として表現に変わります。
その表現の方法は、教えなくとも、模倣から始まっているようです。
模倣することも教えたわけではありません。
プログラミングは本能ともいえますが、その本能=自然がもつ力を元にして、
人はさらに自我という能力を身につけていきます。
この自我の始まりがさらにおもしろいのではないか、といまからとても期待しているのです。
「好き」「嫌い」
「良い」「悪い」
そして喜怒哀楽の感情。
これらの人間らしい表現、考えがどのように発生し、
何を目的としているのか。
役に立っていること、その反面の苦しみや悲しみを生む過程を見ていきたいです。
さらにどのように自我を調整していくのか。
また、このブログで報告できればいいな、と思います。
せっかく育児をしているのですから。
(ある時イクメンと言われ、なんだそりゃ?と思ったら、育児をする男性(メンズ)の事を言うのですよね。ジョン・レノンのように、素敵な曲などを作りながら育児してみたいものです)
このブログは変化していなかったので、生きてはいなかったことになります。
ブログはいつもいろいろと更新していることが大切です。
ブログの方は生きてはいませんでしたが、
ブログの書き手の方は、日々の変化でした。
あまりの変化についていくのが精一杯。
このように文章にすることができるのはうれしいかぎりです。
さて、2月に子どもが誕生し、
しばらくして(無茶なことに)
6月からこの11月までチャクラ&瞑想ワークショップをおこなっていました。
ひと月に一度のペースでした。
教えようとすると、気づくことが多く、
結果、学ぶことが多いのです。
ですから、ワークショップが開催できた事自体が、感謝でいっぱいです。
今回、子どもの誕生、成長を見て、人について理解したことがたくさんありました。
全くの純粋で無垢な基本的土台となる人間、それが赤ん坊です。
自然そのままの人は、プログラミングだけで成長していきます。
それらの成長にはネコなどの動物とはまた違う知性の成長があり、
その成長はとても興味深いものです。
すさまじい速度での成長が起きていますが、
あたりまえ、ではない、驚異的な成長です。
例えば、指を刺して対象を見て声を出す、といったこと。
これらは積み重ねてきた観察、興味、想像、他者との関わり、それらの喜びから、突如として表現に変わります。
その表現の方法は、教えなくとも、模倣から始まっているようです。
模倣することも教えたわけではありません。
プログラミングは本能ともいえますが、その本能=自然がもつ力を元にして、
人はさらに自我という能力を身につけていきます。
この自我の始まりがさらにおもしろいのではないか、といまからとても期待しているのです。
「好き」「嫌い」
「良い」「悪い」
そして喜怒哀楽の感情。
これらの人間らしい表現、考えがどのように発生し、
何を目的としているのか。
役に立っていること、その反面の苦しみや悲しみを生む過程を見ていきたいです。
さらにどのように自我を調整していくのか。
また、このブログで報告できればいいな、と思います。
せっかく育児をしているのですから。
(ある時イクメンと言われ、なんだそりゃ?と思ったら、育児をする男性(メンズ)の事を言うのですよね。ジョン・レノンのように、素敵な曲などを作りながら育児してみたいものです)