2012年1月13日金曜日

The power of yoga

新年のご挨拶をしていませんでした。

この年が素晴らしい年になるようにという願いを込めて、


どうか、すべての苦しみがなくなりますように。

すべてが満たされていることに気づきますように。

平和でありますように。






先日、闘病でやせ細った義理の叔父に気功的なマッサージをしました。

まだまだぼくには誰かを癒すほどの訓練ができていないのですが、

それでもエネルギーが回りだすのを本人も、まわりも驚いていました。

ヨーガをしていてよかったです。


そして、今日、ヨーガ堂・土の講師、nanaがインドへと無事旅立ちました。

出発する今日も二人で、命について深く感じていたこのごろなのですが、

この日の夕方、縁のある人が若くして突然亡くなったことを聞きました。

助けになれなかったこと、

どうすればよかったのかを考えています。



私達の限りある時間、どのように生きていくかについて、

どうすれば、私たちは生きることを意味あるものにできるのか、について、

あるいは、私たちが生きることには意味があるのか、

私たちの本当に望んでいること、

について、今、考えるのです。




むかし、

本当の私ってなんだろうか?

そんなことを実際にあちこち探してまわったことがあります。

もう、何年も昔のことなのですが、

その時は、

「私らしいってなんだろうか」「私らしい写真を撮りたい」

と思って1年7ヶ月海外を放浪したのです。


今から思えば、、「自分探しの旅」ってやつですか。

なんだか恥ずかしい!



思い返せば

小学生1年ですでに、私自身というものが、

どうやら社会との折り合いをつけるのが大変だということに気づいていました。

高校生になると、自分自身が発している毒のようなものに

やられそうになって、タバコとお酒を飲むことを覚えました。


そういうものがあれば、自分のことを考えなくて済んだからです。

そのころになると、自分自身が大嫌いでした。

社会人になってからは、とにかく仕事に追われていることで、

そして結婚をして、誰かに頼られる存在であることを目指していました。


仕事はある程度できるようになりました。

結婚生活でもいい旦那を演じることもできるようになったのです。


けれども根本的には、ずっと自分は世界から必要とされている実感がなかったのです。

いつも自分は大切なものではありませんでした。

しかし、あるとき「機が熟した」のでしょう。

人や仕事の出会いの中で

自分と、自分の周りにある世界が嘘だということに気づいてしまいました。

真実を知ってしまうと、ガラガラと音を立てて自分と世界が崩れていったのです。


リアルな世界を知りたくて

出かけて行きました。




2001年の6月、ぼくは香港から中国:雲南を経由して

外国人立入禁止区域を友達とかいくぐってチベットへ向かいました。

ラサから西チベットのカイラス山へと出発する数日前に、911のテロがあり、

ジェット機と戦車がパキスタン国境へと向かう姿を見ました。

カイラス山を断念してネパール行きへと変更。

インドからはアフリカへ飛んで、ケニア、ウガンダ、タンザニア、

エチオピア、スーダン、エジプト、

中東、ヨルダン、シリアからトルコ、そしてふたたびインドへ。

「私らしい」ということはいったい何なのか探してみました。

アフリカの灼熱のエチオピアの奥地で見つけたものは、

自分の命のはかなさであったり、

身体感覚の境界線の違い(また機会があれば書いてみます)に驚いたりしました。

インドでダライ・ラマ法皇のそばで読経三昧に明け暮れていた時に見つけたものは、

私は何も知らない、ということであったり、

とにかく、私以外の、私の外側にある世界の素晴らしさに圧倒され続けていました。

本当に「私」はあるのか。



旅の途中でであった友人が浜辺でしていたアーサナが素晴らしく印象的だったから、

旅の最後にインドに舞い戻ってヨーガをはじめました。

そして、ヨーガは考えていた以上に答え、真実を見せてくれました。

この素晴らしい世界と、

素晴らしくないこの私は、決して離れていないこと。

ヨーガの力は、感覚を通じて、カラダに入り込んできました。


もし、誰かがくるしんでいたならば、

ぼくはまずヨーガをおすすめします。

僕自身がヨーガによって救われたから。

ヨーガは身体を使います。

そして思考を見つめていきます。

さらに世界を見つけていきます。


ブログでは次回こそ「セルフ」、

自分自身の発見について書きたいと思います。



ところで、今年はすべてが変わる年、となんだか思っています。

物質的な世界から、かすかな世界へと価値が転換する年だと思っています。



どうか、すべての苦しみがなくなりますように。

すべての暗闇が真実の光に照らされますように。

すべてが満たされている。そのことが見えてきますように。