2012年2月26日日曜日

スワミ・ダヤーナンダ

24日からスワミ・ダヤーナンダジによるヴェーダーンタの英語キャンプが全4回1ヶ月強にわたって行われています。

今年は特に多く、世界中から250人(休み期間になると、450人になるとか)がこられるそうで、
比較的小さめなこのアシュラムが人で溢れかえってきます。

ダヤーナンダジといえば、インドでは国賓です。

インド伝統のなかの伝統であるヴェーダの、さらに最高の教えとなるヴェーダーンタを、

英語でしっかりと世界にまで伝えることができる第一人者であり、世界各国でクラスを開催してきました。

日本でいえば人間国宝でしょうか。

落語界でいえば桂米朝さんのようなものです(^o^)。

米朝さんは年に何回も講演会が行われることはなく、桂一門で支え合っての講演会がありますが、
こちらの人間国宝は、3年半のヴェーダーンタコースを開催して、そのうちの
7割ほどの講義はスワミ直々だそうです。

スワミは82歳の御歳、
持病も抱えているにもかかわらず、
毎日、3時間以上もの講義をされるのですね。さらに、夜にはサットサンガ、質疑応答などが1時間。

ありえない。
すごい。

そんなスワミに、日本人のみんなで直接お会いすることができました。
チェータナ先生のおかげです。

ヴェーダーンタは世界中に広まっているとおもいますか?と質問したら、

広まっているよ、
特に日本人にね、とおっしゃっていました。

日本人は真面目で成績優秀で、仏教の下地があるからヴェーダーンタが浸透しやすいとのこと。

ヴェーダーンタでは人はそして個人は本質的には完全である、と教えていますが、

キリスト強やイスラム教では罪人である、つまり不完全であると教えている部分があるので(それも神秘主義になると逆転しますが)、

ヴェーダーンタやヨーガはなかなか掴んでもらいにくいのです。

他の人の質問で、
日本が津波にあって、放射能にまみれて、そんな中、どうすれば人々を助けることができるでしょうか?
という質問が僕たちの仲間から出たのですが、
だれかを助けようとした時には、自分が小さければ、助けられない。
自分が溺れてしまっては、相手も死んでしまう。
大きければ、助けられます。
自分が大きくなりたければ、成長しなければならない。
勉強しなさい、ヴェーダーンタがあなたの力に、
そして世界中のチカラになります。

といったことをおっしゃってくれました。(ちょっとうろ覚え。間違っていたら、すいません)

存在感に圧倒された~、青いオーラが見えた~といってた人がいました。

ぼくにはオーラは見えなかったけれど、ダライ・ラマ師と似た印象がしました。

真実のみを語る人は、大自然と同じだな。と思ったのです。

今日も夕方、ダヤーナンダジの近くに座ったのですが、ぼくの眉間と頭のてっぺんがポワーンと暖かくなって、しかも明らかにスワミから暖かいものがやってきました(=^ェ^=)

2012年2月18日土曜日

リシケシ

インドに着いてからインターネットをつなげる時間がなく、始めてのブログになります。
今はリシケシ、ヨーガを学ぶ人にとっては聖地というべきところです。今いる寺院からガンジス川の対岸に石で組んだかまくらのようなものがあって、そこでビートルズが瞑想したんだよ、と聞きました。何度も来ているリシケシですが、知らないことが多いです。
さて、この場所、ダヤナンダアシュラムはリシケシの中心、ラムジュラ橋より南に数キロのところにある、市街地に近いアシュラム(寺院)です。目の前にガンジス川の流れがあって、最高のロケーション。ガンジス川って、インド三大神シヴァの髪の毛から流れ出す神の川です。水も今の時期は青くて雪解け水で冷たくて気持ちいいです。あ、今のこちらの気温は朝5時で10度くらいかな?日中は20〜25度くらい。太陽のしたにいると汗ばみますが、早朝のプージャ(お祈り)はフリースとか、ダウンジャケットが欲しくなります。
さて、昨日でチェータナ先生によるバガヴァッドギーター第6章の瞑想クラスが終わりました。昨年の広島キャンプでスワミに教えていただいたことをまた深く勉強させていただきました。
深い深い、クリシュナによるヨーガの教え。そしてそれをしっかり勉強して始めてヨーガスートラが分かってくるんです。サマーディも本当によく理解できました。なんだか遠くて自分には関係のないような到達地点としてサマーディを見ていたのですが、順番に理解して、自分の考えに定着させていくことでヨーガはどんな人にも成長を与えてくれるのだとおもいました。
ヨーガによって考えの整理がついた時、ヴェーダーンタが始まるといいます。むかしむかし、でもブッダよりもあとの時代にシャンカラチャーリアという聖者がガンジス川のほとりで弟子たちにヴェーダーンタを教え、その伝統がいまここにつながっています。
一度だけでしたが、いつものクラスをガンジス川を眺める屋上で行いました。あまりのすてきさに涙が出そうでした。