いま、講師のためのトレーニングを行っているのですが、真ん中に差し掛かっています。
奥深く、広がるヨーガは本当に面白く展開していき、自分たちの成長を助けてくれます。
来年に変えて、私たちはどのように成長していけるでしょうか?
さて、さて、
ヨーガにおいてわたしたちは二つの手段を使ってスピリチュアリティの道を進みます。
二つの手段とは①クリア(行為)②ブッディ(知性)です。
しかし、まず、そもそもこのスピリチュアリティとは何でしょうか?
スピリチュアル、というときっと3つの反応があると思います。
1つ目は、ハリーポッターのような、魔法のようなイメージです。
運命が開けて、運命の人に出会い、キラキラとした人生が始まる。
なんだか理屈はわからないけれど、すぐに効果がある呪文のようなもの。
2つ目は、あやしい科学とか、宗教のイメージです。
自分はなにかいけないものがくっついているので、
それを浄化しなくてはいけない。
自分には罪があるので、それを償わなくてはいけない。
3つ目はとにかく、こういったことは近づかない方がいい。
無視して、見ないようにしている。
でも姓名判断で、子供の名前はつける。。。。
いずれも、魔法のようなイメージですね。
ヨーガ、ヴェーダーンタではこう考えます。
スピリチュアリティとは、正しい理解、わたしとはどういう存在か、
わたしの目の前の世界、この世界の創造について、創造をしたものは何かを学び理解すること。
これがスピリチュアルということです。
科学だってスピリチュアルに入ってくるし、
さらにそれを超えたヨーガやアーユルベーダやヴェーダーンタも
やはり真実とは何かを追求している意味で、スピリチュアルです。
スピリチュアルを追求するためには、
愛、慈悲、思いやりなどの考えやこころの美しさ、健康さが必要になります。
この考えの健康さを育てるのが、ヨーガです。
本当のこと言えば、健康を育てるというより、
不健康な考え方を避ける、というのがヨーガです。
ヨーガという言葉は、Yuj=結びつける、というサンスクリット語の語源から成り立ちます。
何かを結びつけるとき、他の何かとは引き離します。
たとえば、靴のひもを結ぶときは、反対のことを引き離しています。
ん? 意味が不明?
靴のひもを結ぶときは、ひもがだらしなく垂れ下がっている状態、を引き離します。
あるいはひもがこんがらがって、隣の靴と引っかかっている状態を引き離しています。
そうではないでしょうか?
Yogaで何かと何かを結んでいく時、別の何かを引き離します。
では、考え・こころがだらしなく垂れ下がっている状態とは……
怒りや悲しみ、嫉妬、憎しみ、怨み、悲しみ、無感動…
そういった感情です。
小さいものから、大きい物まで、イライラはどこにでもあふれていて、
無関心もあふれていて、どうしたらこれらの感情から逃れられるのか、
と思うほどですが、
Yogaはどんなところにいても、どんなときでも、平安なこころを取り戻すツールになります。
ヨーガにおいてわたしたちは二つの手段を使ってスピリチュアリティの道を進みます、と
最初に書きました。
その1つ目、①クリア行為としてのツールが、
ヨーガアーサナ、クラスで行っているポーズですね。
それからプラーナーヤーマ、調気法、呼吸法なのです。
奥深く、広がるヨーガは本当に面白く展開していき、自分たちの成長を助けてくれます。
来年に変えて、私たちはどのように成長していけるでしょうか?
ポストカード、できました。 |
さて、さて、
ヨーガにおいてわたしたちは二つの手段を使ってスピリチュアリティの道を進みます。
二つの手段とは①クリア(行為)②ブッディ(知性)です。
しかし、まず、そもそもこのスピリチュアリティとは何でしょうか?
スピリチュアル、というときっと3つの反応があると思います。
1つ目は、ハリーポッターのような、魔法のようなイメージです。
運命が開けて、運命の人に出会い、キラキラとした人生が始まる。
なんだか理屈はわからないけれど、すぐに効果がある呪文のようなもの。
2つ目は、あやしい科学とか、宗教のイメージです。
自分はなにかいけないものがくっついているので、
それを浄化しなくてはいけない。
自分には罪があるので、それを償わなくてはいけない。
3つ目はとにかく、こういったことは近づかない方がいい。
無視して、見ないようにしている。
でも姓名判断で、子供の名前はつける。。。。
いずれも、魔法のようなイメージですね。
ヨーガ、ヴェーダーンタではこう考えます。
スピリチュアリティとは、正しい理解、わたしとはどういう存在か、
わたしの目の前の世界、この世界の創造について、創造をしたものは何かを学び理解すること。
これがスピリチュアルということです。
科学だってスピリチュアルに入ってくるし、
さらにそれを超えたヨーガやアーユルベーダやヴェーダーンタも
やはり真実とは何かを追求している意味で、スピリチュアルです。
スピリチュアルを追求するためには、
愛、慈悲、思いやりなどの考えやこころの美しさ、健康さが必要になります。
この考えの健康さを育てるのが、ヨーガです。
本当のこと言えば、健康を育てるというより、
不健康な考え方を避ける、というのがヨーガです。
ヨーガという言葉は、Yuj=結びつける、というサンスクリット語の語源から成り立ちます。
何かを結びつけるとき、他の何かとは引き離します。
たとえば、靴のひもを結ぶときは、反対のことを引き離しています。
ん? 意味が不明?
靴のひもを結ぶときは、ひもがだらしなく垂れ下がっている状態、を引き離します。
あるいはひもがこんがらがって、隣の靴と引っかかっている状態を引き離しています。
そうではないでしょうか?
Yogaで何かと何かを結んでいく時、別の何かを引き離します。
では、考え・こころがだらしなく垂れ下がっている状態とは……
怒りや悲しみ、嫉妬、憎しみ、怨み、悲しみ、無感動…
そういった感情です。
小さいものから、大きい物まで、イライラはどこにでもあふれていて、
無関心もあふれていて、どうしたらこれらの感情から逃れられるのか、
と思うほどですが、
Yogaはどんなところにいても、どんなときでも、平安なこころを取り戻すツールになります。
ヨーガにおいてわたしたちは二つの手段を使ってスピリチュアリティの道を進みます、と
最初に書きました。
その1つ目、①クリア行為としてのツールが、
ヨーガアーサナ、クラスで行っているポーズですね。
それからプラーナーヤーマ、調気法、呼吸法なのです。