2011年8月4日木曜日

私という大問題



私とは誰か?

という大疑問に一生を費やした人がインドの聖者にいます。
南インドのアルナーチャラという山麓にいらした、ラマナ・マハルシ師です。

1896年、16歳だったラマナ少年は、それまで普通の男の子だったといいます。
6月17日、なんの前触れもなく突然家でバッタリ倒れて、死の恐怖に取りつかれてしまいます。
そして、次の瞬間には、自分の本質が何かを突き止めることに至りました。

普通の学校生活を送ることができなくなったラマナ少年は
とうとう家出してしまいました。
そしてシヴァの神がいらっしゃると聞いていたアルナーチャラ山に向かいます。
たった一人、神殿の奥で、誰とも会話をせず(マウナ:黙想)、
食べ物も食べず、時々心配した村人からの差し入れを無理やり口に入れてもらって、
足は虫に食われて傷だらけになりながらも、瞑想を続けたのです。

この時、ラマナ・マハルシは、
どこに行ったのでしょうか。




実は……どこにも行かなかったのです。
いままでも、いまも、これからも、
ほとんどの人が探さない場所、
自我を超えた、
本当の自分自身の本質、
いま、ここにいたのです。


少年はこのとき、自分の内側で、心の内側に平和を見ていました。
その平和があまりに素晴らしかったので、肉体や外側への興味を失ってしまったのです。
もしかすると、ここで肉体を捨てることもありえたかもしれません。
けれども、少年はこの世界に戻ってくることになりました。
多くの人が、少年におこっていることが、普通の体験ではないことに気づいて、
それを教えて欲しいと請うようになったからです。

最初、ラマナ少年にはその体験について伝える言葉はありませんでした。
言葉にならなかったのだと思います。
それは、言葉を超えた体験だったからです。
多くの信者が彼に問い掛けました。
賢者も少年に語りかけました。
その言葉が、少年の心から何かを引き出したのだと思います。
そして、彼はヴェーダンタの聖典の中に現れる言葉こそが、
自分の体験を語る道具として、ぴったりだということを発見したのです。

ヴェーダンタとは、その昔、太古の人々が神々から伝えてきた聖典です。
ブッダが現れ、その後に聖者シャンカラチャリアが解説を加えて、
確立させたインド最高の哲学です。


何年も経ってから、その体験を語るようになりました。

ラマナ・マハルシはこう言います。
「私とは誰か」
を私自身に問いかけていくことが、本当の私に到達する道のひとつですよ、と。

暗闇の海原に灯されて道を照らしてくれる灯台のように、
ラマナ・マハルシが体験したことをひとつの希望の星として、
そしてヴェーダンタの聖典に記された海図を読み解くことで、
自分たちにもこの世界の波を漕ぎ出す勇気を持てるのです。

ところで、今年2月からインドに行って、ヨーガ修行してきたのですが、
3月にこのアルナーチャラの山とラマナアシュラムに滞在してきました。
ラマナ・マハルシがいらっしゃった洞窟で瞑想をして、
夕方に宿に戻ってきたら、宿のおばさんが、
「たいへんだよ、日本がtsunamiだって!」
というから、インターネットを見たら…
そう3月11日の大地震がおきていたのです。





それでも、ぼくたちの生きているこの世界と、
そしてラマナ・マハルシが指し示した私と、
それは、本当は同じなんだよ。
ということを、ラマナ・マハルシは語っているように感じました。

はい、おじいちゃん(爺ちゃんの顔にちょっと似ている)がんばって修行します!

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