サドゥはだいたいがオレンジ色の布をまとっていて、髪の毛がちぢれてうず高くもりあげている人がいたり、中にはドラゴンボールの亀仙人のようにかっこいいサングラスをかけた爺ちゃんもいたりします。
足が不自由な人もいれば、バイクで二人乗りで乗り付けるサドゥも、携帯電話を持つヒトもいます。一人ひとりがかなりキャラクターが濃い。
さて、これらのサドゥが150〜250人一堂に、庭に数列になった敷物に座ります。
時間がくるといっせいに男の人たちがご飯や野菜炒め、豆スープ、水などを入れたバケツと、
おたまを片手に、前に置かれた皿にそのごはんを入れていきます。
その時、おたまは決して皿に触れないというのがルールで、
ぼくも一度、触れてしまって注意されました。
しかしこれが難しい! 片手のバケツは重いし、上から落とすと汁が飛び散って、
ほらほらこぼれるじゃん、的な舌打ちされたりして(笑)
それから一人ひとりにお布施が配られます。
100〜300ルピー(日本でいえば1000円から3000円くらいの価値は充分あります)が
渡されていきますから、全体で相当なお金です。
ご飯を食べ終わると、なんというか感謝の歌のような、
それぞれ神の歌をうたいます。そして、掛け声と共にエイサーっと立ち上がって帰っていきます。
これらのご飯やお布施は全部寄付で成り立っています。最低限10万円くらいからでできます。
先日はパラヴィッディヤー・ケンドラムと日本人の生徒たちとで合わせて、バンダーラを行いました。
なんだかうれしかったです。
スワミジがおられる時は、寄付が多いので、バンダーラが多いといいます。
サドゥに寄付するというのは、最高に得を積むことになるそうです。
それは、サドゥたちが大事な叡智を社会のために残しているからです。
プンニャ、日本でいえば「徳を積む」ことになるという考え方は、
日本よりもずっと多い気がするのです。
たとえば、アシュラム(修行のお寺)はすべてが寄付によって運営されています。
たとえば食事はホワイトボードに「本日 昼ごはん、チェンナイのだれだれさん寄付」と書いてあります。
団地のように並んでいる宿泊施設も寄付によって造られ、
講義を受けているホールも寄付です。
ここにやってくる人たちは、自分の懐具合に合わせて、
寄付をして、宿泊したり、授業に参加します。
3年コースの勉強もありますが、これも寄付です。
お金がなければ、なしでいいし、あればあるだけ出せばいいのです。
そこにはプレッシャーはありません。
寄付にプレッシャーがあったら、それは「支払い」です。
忘れていた頃やってくるカードの支払いの請求書を見た時の額の汗、
そのような汗はアシュラムでは不要です(笑)
また、アシュラムで、なにか商売をしているようなそんなことは見たことはありません。
本とか写真とかは売っていますが、
日本のお寺のように、
たくさんのお守りがあったり、
戒名いくらとか、
葬儀宗教なんてことは言われないのです。
お墓もないのです。
本当は、これはとても自然な感じがしませんか?
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