先日、中国人向けの、中国骨董品のオークションイベントが終わりました。
二日間で、なんと5億円!のお金が目の前を流れていきました。(現金は数千万円でしたが)
僕はそこで、なにをしていたかというと、
朝からオークション会場となっているホテルのホールを走りまわっていました。
コンピューターに少し詳しいというので、なぜかこういったイベントの落札から精算までの計算システムを組んで、運営する仕事をしているのです。
ヨーガ以外にこんな特技があったんですね。
ところで、中国人向けの、骨董品のオークションっていきなり書いてもなんのことかわからないですよね。
説明してみます。
今、中国の経済が20年前の日本のバブルのように、どんどんと膨れ上がっています。
お金持ちはお金が有り余っていて、有り余ったお金を置いておくのもったいないので、なにか価値のあるものを売り買いしようとします。
そこで登場するのが、骨董品です。
戦後、経済成長の時と、中国から多くの骨董品が安く買われては日本で売られていました。
中国の美術品がどんどんと日本に流出したのです。
今、その骨董品を日本から持ち帰ると、中国では高値で取引されるのです。
そこで、この10年くらいの間に、日本で中国人のための、中国骨董品がオークションというのが始まったのです。
近頃は、オークションというとyahooオークションなどインターネットでのオークションがイメージされるかもしれません。
でも、これは、生のオークションです。
イベント会場にその骨董品や美術品が展示されて、中国人バイヤーが熱心にルーペなどで調べてその骨董品の価値を確かめに来ます。
当日は、モニターに写真を表示して、落札者たちが目当ての品が出てくると、自分の番号札を上げたりして、競りあってどんどんと値を上げていくのです。
値が上がりきって、誰も札を挙げなくなると、ハンマー係が、
バチン、と音を立てて、
「356番、150万円、謝謝」
と、その値段での落札者を決定するのです。
熱心な顧客は中国から電話で参加して、電話の向こうから会場の様子を確かめ、代理の中国人スタッフに落札の札を挙げさせて、落札します。
今回のオークションで一番の高値が4500万円だったか、4800万円だったか、忘れましたが(自分のお金ではないので、どうでもいいのですね!)の書画でした。
受付で業務していると、となりの中国人スタッフの女の子(ほとんどのスタッフは日本の大学に留学しに来ていて、日本語が堪能なのです)がタメ息をついて、
4500万円!! はぁ~、マンション買える~
その後にも何千万かの落札があり、
はぁ~マンション買える~
というのです。
マンションばっかりやなぁ、他にほしいもんないのん?
と聞くと、
そしたら、ハワイに旅行に行きたい!
何回行けるやろ。向こうに住めるんと違う?
とまたもやタメ息です。
こんなとき、ついついヨーガ講師の私としては、聞きたくなるのです。
「何が本当の幸せか」を。
じゃあ、ここに来ている人のような、お金持ちの人と結婚すれば、幸せなんじゃないの?
お金があれば、この世界、この時代においてすべての自由を手にしているようなものです。なんでも買うことができて、なんでも手に入れることができるはずです。
そうしたら彼女は答えました。
「ダメダメ。お金がたくさんあったら、大変なこともたくさん」
えーそうなの? そのとなりの中国人スタッフにも聞いてみました。あなたもそうですか?
「お金がたくさんあると、苦労も多いです」
では、何が幸せなの?
私は学校に行って勉強したり、楽しいことをしていることが幸せ。
お金、お金と騒いでいるオトナたちを横目に、
今この時を輝いている、学生たちは、
本当の価値は何なのかを、見極めようとしていました。
なんだかホッコリしたひとときでした。
2011年7月9日土曜日
2011年7月3日日曜日
クーラーないとき、プラーナあるとき
6月27日(月)のワークショップからあっという間に一週間経ちました。
あのワークショップあたりから気温はぐんぐん上昇して、街中ではクーラーが当たり前になってきました。
昨日だったか、おとといだったか、
関西電力の株主総会で、原発に対する反対意見が飛び交う中、
「クーラーなくて会議ができるか!」と怒鳴った人がいたとか…。
確かに暑いとね、
集中できなくなります。
ならば、いっそのこと
拡散に向かうというのはどうでしょう。
ヨーガで言えば、シャバアーサナ、死体のポーズです。
なんと不思議な名前がついてます。
シャバ、
娑婆に似てますが、死骸ってことなんです。
ボディが完全に弛緩していって、マインドはリラックスして静まります。
この時ボディを包んでいるプラーナ(気・エネルギー)は充実していきます。
そういえば、体験した中で一番熱かったのは、
スーダンの首都ハルツームの昼間50度、夜の40度というのがありました。
日陰にいって、樹の下で、熱いチャイとかカルカデ(ハイビスカスティー)の甘いのを飲むのが一番涼しくなる方法でした。
夜はベットと、床に水を打ち水しないと干からびてしまうという熱さでした。
そんな時の自分のボディは力が入らなくて、それこそ死体に近いです。
そこに住む人もそんな暑さの中なので、必死には仕事してはいません。
でも、プラーナ、気、エネルギーは、
ゆるやかで、しなやかで、強く、優しい感じがしました。
夕方になって少し日差しが柔らかくなると、
ぞろぞろと街中が動き始めます。
屋台が活気づいて、裸電球なんかがぶら下がっている下にたくさんの商品が並んでいて、
楽しそう。
スーダンで会議なんてやっていたんだろうか。
きっと、屋台で繰り広げられる会議は、
日本のクーラーのあるオフィスで行われる会議の何倍もプラーナに満ち溢れている。
たぶん間違いないです。
もはや、日本は熱帯にある、と宣言して、
クーラーも効かない、それでイイんじゃない、と居直ってみるのはどうでしょう。
暑すぎるので仕事もそこそこにしましょう、
こんなときには、みんなで路上の屋台へ行っちゃいましょう。
異業種交流会、となりの山田くんともお友達になってしまう、
ダンスもしましょう、盆踊もいい、
といった、昔からのアジアの伝統に戻ることが、
ほんとうの意味での日本の復興だといえましょう。
あのワークショップあたりから気温はぐんぐん上昇して、街中ではクーラーが当たり前になってきました。
昨日だったか、おとといだったか、
関西電力の株主総会で、原発に対する反対意見が飛び交う中、
「クーラーなくて会議ができるか!」と怒鳴った人がいたとか…。
確かに暑いとね、
集中できなくなります。
ならば、いっそのこと
拡散に向かうというのはどうでしょう。
ヨーガで言えば、シャバアーサナ、死体のポーズです。
なんと不思議な名前がついてます。
シャバ、
娑婆に似てますが、死骸ってことなんです。
ボディが完全に弛緩していって、マインドはリラックスして静まります。
この時ボディを包んでいるプラーナ(気・エネルギー)は充実していきます。
そういえば、体験した中で一番熱かったのは、
スーダンの首都ハルツームの昼間50度、夜の40度というのがありました。
日陰にいって、樹の下で、熱いチャイとかカルカデ(ハイビスカスティー)の甘いのを飲むのが一番涼しくなる方法でした。
夜はベットと、床に水を打ち水しないと干からびてしまうという熱さでした。
そんな時の自分のボディは力が入らなくて、それこそ死体に近いです。
そこに住む人もそんな暑さの中なので、必死には仕事してはいません。
でも、プラーナ、気、エネルギーは、
ゆるやかで、しなやかで、強く、優しい感じがしました。
夕方になって少し日差しが柔らかくなると、
ぞろぞろと街中が動き始めます。
屋台が活気づいて、裸電球なんかがぶら下がっている下にたくさんの商品が並んでいて、
楽しそう。
スーダンで会議なんてやっていたんだろうか。
きっと、屋台で繰り広げられる会議は、
日本のクーラーのあるオフィスで行われる会議の何倍もプラーナに満ち溢れている。
たぶん間違いないです。
もはや、日本は熱帯にある、と宣言して、
クーラーも効かない、それでイイんじゃない、と居直ってみるのはどうでしょう。
暑すぎるので仕事もそこそこにしましょう、
こんなときには、みんなで路上の屋台へ行っちゃいましょう。
異業種交流会、となりの山田くんともお友達になってしまう、
ダンスもしましょう、盆踊もいい、
といった、昔からのアジアの伝統に戻ることが、
ほんとうの意味での日本の復興だといえましょう。
2011年7月1日金曜日
Sivananda Yoga WS スワミ・マハデヴァナンダ 講演
Sivananda Yoga Tokyo Center高円寺オープンを記念して

世界的には大きな組織になっているシヴァナンダヨーガ。
日本ではまだまだ知られていないのですが、今回6月27日の大阪WSでは、予想をはるかに上回る参加をいただきありがとうございました。
こんなに関西にシヴァナンダヨーガをされている人達がいることに驚きました。
そしてみなさんにお会いできたことが嬉しかったです。
それからタイTTCでお世話になった紀子さん、マリオ、イシャンに再会できたこと、
今回のことで、新しくシヴァナンダの友人、ファミリーになった人たちに出会えて、幸せでした。
大阪WSが無事終わりました!!
世界的には大きな組織になっているシヴァナンダヨーガ。
日本ではまだまだ知られていないのですが、今回6月27日の大阪WSでは、予想をはるかに上回る参加をいただきありがとうございました。
こんなに関西にシヴァナンダヨーガをされている人達がいることに驚きました。
そしてみなさんにお会いできたことが嬉しかったです。
それからタイTTCでお世話になった紀子さん、マリオ、イシャンに再会できたこと、
これを機会に……
ある友人に早く書きなさいとお尻を叩かれてやっとのこと…
ヨーガ堂・土-tsuchi-(大阪茨木市で小さなヨーガ教室をしています)
のブログを開設したいと思いました!
自分でパチパチ!
ブログ・日記が非常に苦手なのですが、トライしてみます。
ある友人に早く書きなさいとお尻を叩かれてやっとのこと…
ヨーガ堂・土-tsuchi-(大阪茨木市で小さなヨーガ教室をしています)
のブログを開設したいと思いました!
自分でパチパチ!
ブログ・日記が非常に苦手なのですが、トライしてみます。
ヨーガ(サンスクリット語ではヨーガと発音したほうがより近いので、ここではヨーガと書きます。ヨガでも間違いじゃないです)は、コマーシャルでも、ヨーガのイメージが使われるようになり、本当に誰にでも知られるようになってきました。
ヨーガを教えていて感じることは、多くの人が、健康とか自然な生活とか、たくさんの人の志向が自分自身へと、そして自分と環境とのかかわりへと向かうようになっていることだと思います。
そんな中、今回初めての関西でのスワミ・マハデヴァナンダの講演では「祈りの力」というテーマでお話ししていただきました。
祈りも自分自身や環境とのかかわりを感じる、とっても内面的な作業です。
実は、スワミ・マハデヴァナンダジを始め、世界中の人達は今回の震災、原発の事件に関してたくさんの祈りをしていただいていました。
Sivaram(このブログを書いている本人です)が10年前、アジアからアフリカ、中東を1年と7ヶ月旅したとき感じたことは、
「祈りは生活、人が生きることそのもの」
でした。
チベットの荒野ではなーんにもない大高原にいきなり石が積んであって、カラフルな旗がぽかんとした青空にたなびいていて、どんなところにも祈りが込められていました。
そんな荒野を何百キロも自分の体を地面に倒して進んで(五体投地で)、
聖地を目指して巡礼する人たち…。
「そーなんだよなー…これがチベットだー」としみじみ感動したものです。
インドでは毎日ガンジス川で沐浴している人がいて、
葉っぱの上に花と小さな灯火を川に流していて…。
プージャ、儀式があって。
アフリカ・エチオピアでは、古代のキリスト教が残っていて、それこそなーんにもない岩だらけの荒野に現れる岩山の上に洞穴を作って、ずっと、ずっと、お祈りをしているのです。
トルコ・カッパドキアも、お祈りの場所でした。
スーダンやエジプトの街中にはモスクの祈りの声が流れていて、
ケニアやタンザニア、ウガンダには、大地を素足で歩いている人たちの生きる姿が、
そのもの自然と融け合っていて、プリミティブな祈りがあったような気がします。
日本に帰って10年くらい経つと、世界はそうだったなぁくらいになってしまいました。
日本の生活は祈りが本当に少ないのです。
でもきっと、50年も経たない昔ならば、日本でも当たり前だったと思うです。
いまだって少しは痕跡があります。
田舎にいくと、田んぼの脇の道祖神なんかありますよね。
千と千尋の神隠しの最初のシーンにありますよね。
うちの近く、安威にはちゃんと田んぼの横にあります。
なぜ人は祈るのでしょう。
逆に言うと、
人は、人だから祈ります。
動物は祈るでしょうか?
うちには黒猫の秋さんがいますが、見ていてもどうも祈っていないようです。
動物は、祈らないですよね。
苗を育てるところから、土と水の力を知って、温度が季節によって変わって、どのくらいの日にちだったら、作付けするのに適していて……、虫がいて、病気があって
大風や大雨や低温や日照り…
自然力を知っていてもなお、コントロール出来ないことがあります。
自然の力は自分たちの考えをはるかに超えています。
この時、人は自分を越えている大きな法則があることがわかります。
これをヨーガではダルマと言ってます。
私たちは、成長を経て、
このダルマ、自然の法則に逆らわないことを学びます。
どれだけ、豊かな人でもダルマに逆らうことは叶わないです。
たとえばアメリカの大統領だって、アップルのスティーブ・ジョブズだってダルマに逆らうことは出来ません。
政府がどれだけ政策を考えても、
ダルマ、自然の法則に勝てっこないのです。
人は必ず死ぬ、というのも大きなダルマです。大統領だって変えることは出来ません。
原発でも、部分的に人の力を使っていますが、
もともとは、自然・宇宙の本来持っている莫大なエネルギーです。
燃料がメルトダウンして、
格納器を飛び出してメルトスルーしているか、
巨大なエネルギーを出している放射線があまりにも危なっかしくて、
人間ではカメラとか装置を設置することもできなくなっていて、
少し離れた環境の変化から、きっとこうなんじゃないかなーという曖昧な推測でしか、自然のエネルギーを測ることが出来ない状態です。
誰も直接見に行くことができないのです。
こんなふうに、小さなことでも、大きなことでも、環境を、きっと人をも、
コントロールする、ということは出来ない、といこともダルマです。
だからまず、自分たちは自然の法則を謙虚に学ぶ姿勢が必要です。
そして、自分たちは思い通りに自然を、何かをコントロール出来ないことを知らなければ行けないのです。
では、いったい「祈り」とはどういうことなんでしょう。
コントロール出来ないことを祈るのは無意味じゃないでしょうか?
祈りは個人の心を使って、ダルマ、自然の法則に直接アクセスしようとする試みです。
自然の法則にアクセスすればダルマは変わるでしょうか?
きっとダルマは、祈ったところでダルマ、自然の法則のとおり働くでしょう。
(ダルマに沿った祈りは、もちろん行為=祈りに対する答え=リアクションがあります)
では祈りで変わるのは、何でしょう。
まず、個人の心が変わります。
祈りによってダルマにアクセスすると、自分の心がダルマに沿ったものへと変化します。
わたしたちは台風で風に飛ばされるかもしれない稲穂に対して祈ることによって、
自分たちの力でのみ生きていると思い込んでいることを間違いだなーと悟ります。
原発の話で言えば、私たちのからだは、強い放射能に耐えることは出来ないなーということ、
こういったアタリマエのことを祈りによって実感するはずです。
祈りによって理解されることは、
生きていることそのものが祝福なんだな、
ありがたいなぁなんて感じること。
そして他の生き物のためにも、
自然、ダルマに逆らわないでおこうよ、
という選択がわたしたちの中で生まれてきます。
そういう考え、選択が普通に、自然に生まれてきます。
祈りによっておこることは、それ以外にもまだまだあります。
でも今日はこの辺で。
ダルマの説明は難しいよねーっとシヴァナンダヨーガ東京センターのマリオに話をしたら、
(マリオはとってもピュアな眼をもったフランス系のカナダ人で、間違いなく世界でトップクラスのヨーガの修行を積んでいる素敵なヨギーです。)
みんなダルマを「法」って言うから、自由を縛り付けるモノと解釈しがちで、
これはなんだかしたいことを止められるような嫌な感じするよね。
でも、ダルマは「自然な流れのこと」だよ、
と教えてくれました。
流れに逆らうと、大変だよね。
流れに乗っていると、ほら、楽に泳げるじゃない。
と。
マリオが言うと、魔法にかかったように「そうだそうだ、うーん納得するー」と感動してしまいます。
あ、僕のリスニング能力ではそう聞こえました。まちがっていたらごめんなさい。
長い文章になりました!
息切れしないように続けていきますね。
Hari Om Tat Sat
そんな中、今回初めての関西でのスワミ・マハデヴァナンダの講演では「祈りの力」というテーマでお話ししていただきました。
祈りも自分自身や環境とのかかわりを感じる、とっても内面的な作業です。
実は、スワミ・マハデヴァナンダジを始め、世界中の人達は今回の震災、原発の事件に関してたくさんの祈りをしていただいていました。
それにしてもヨーガと祈り、ってなかなか難しいテーマでしたよね。
いや難しいのです。特に現代人、日本人にとっては。
祈り…って現代の日本人にとっては、もっとも遠い存在かもしれません。
Sivaram(このブログを書いている本人です)が10年前、アジアからアフリカ、中東を1年と7ヶ月旅したとき感じたことは、
「祈りは生活、人が生きることそのもの」
でした。
チベットの荒野ではなーんにもない大高原にいきなり石が積んであって、カラフルな旗がぽかんとした青空にたなびいていて、どんなところにも祈りが込められていました。
そんな荒野を何百キロも自分の体を地面に倒して進んで(五体投地で)、
聖地を目指して巡礼する人たち…。
「そーなんだよなー…これがチベットだー」としみじみ感動したものです。
インドでは毎日ガンジス川で沐浴している人がいて、
葉っぱの上に花と小さな灯火を川に流していて…。
プージャ、儀式があって。
アフリカ・エチオピアでは、古代のキリスト教が残っていて、それこそなーんにもない岩だらけの荒野に現れる岩山の上に洞穴を作って、ずっと、ずっと、お祈りをしているのです。
トルコ・カッパドキアも、お祈りの場所でした。
スーダンやエジプトの街中にはモスクの祈りの声が流れていて、
ケニアやタンザニア、ウガンダには、大地を素足で歩いている人たちの生きる姿が、
そのもの自然と融け合っていて、プリミティブな祈りがあったような気がします。
日本に帰って10年くらい経つと、世界はそうだったなぁくらいになってしまいました。
日本の生活は祈りが本当に少ないのです。
でもきっと、50年も経たない昔ならば、日本でも当たり前だったと思うです。
いまだって少しは痕跡があります。
田舎にいくと、田んぼの脇の道祖神なんかありますよね。
千と千尋の神隠しの最初のシーンにありますよね。
うちの近く、安威にはちゃんと田んぼの横にあります。
なぜ人は祈るのでしょう。
逆に言うと、
人は、人だから祈ります。
動物は祈るでしょうか?
うちには黒猫の秋さんがいますが、見ていてもどうも祈っていないようです。
動物は、祈らないですよね。
農業をしている人は特にわかるとおもうのです。
苗を育てるところから、土と水の力を知って、温度が季節によって変わって、どのくらいの日にちだったら、作付けするのに適していて……、虫がいて、病気があって
大風や大雨や低温や日照り…
自然力を知っていてもなお、コントロール出来ないことがあります。
自然の力は自分たちの考えをはるかに超えています。
この時、人は自分を越えている大きな法則があることがわかります。
これをヨーガではダルマと言ってます。
私たちは、成長を経て、
このダルマ、自然の法則に逆らわないことを学びます。
どれだけ、豊かな人でもダルマに逆らうことは叶わないです。
たとえばアメリカの大統領だって、アップルのスティーブ・ジョブズだってダルマに逆らうことは出来ません。
政府がどれだけ政策を考えても、
ダルマ、自然の法則に勝てっこないのです。
人は必ず死ぬ、というのも大きなダルマです。大統領だって変えることは出来ません。
原発でも、部分的に人の力を使っていますが、
もともとは、自然・宇宙の本来持っている莫大なエネルギーです。
燃料がメルトダウンして、
格納器を飛び出してメルトスルーしているか、
巨大なエネルギーを出している放射線があまりにも危なっかしくて、
人間ではカメラとか装置を設置することもできなくなっていて、
少し離れた環境の変化から、きっとこうなんじゃないかなーという曖昧な推測でしか、自然のエネルギーを測ることが出来ない状態です。
誰も直接見に行くことができないのです。
こんなふうに、小さなことでも、大きなことでも、環境を、きっと人をも、
コントロールする、ということは出来ない、といこともダルマです。
だからまず、自分たちは自然の法則を謙虚に学ぶ姿勢が必要です。
そして、自分たちは思い通りに自然を、何かをコントロール出来ないことを知らなければ行けないのです。
では、いったい「祈り」とはどういうことなんでしょう。
コントロール出来ないことを祈るのは無意味じゃないでしょうか?
祈りは個人の心を使って、ダルマ、自然の法則に直接アクセスしようとする試みです。
自然の法則にアクセスすればダルマは変わるでしょうか?
きっとダルマは、祈ったところでダルマ、自然の法則のとおり働くでしょう。
(ダルマに沿った祈りは、もちろん行為=祈りに対する答え=リアクションがあります)
では祈りで変わるのは、何でしょう。
まず、個人の心が変わります。
祈りによってダルマにアクセスすると、自分の心がダルマに沿ったものへと変化します。
わたしたちは台風で風に飛ばされるかもしれない稲穂に対して祈ることによって、
自分たちの力でのみ生きていると思い込んでいることを間違いだなーと悟ります。
原発の話で言えば、私たちのからだは、強い放射能に耐えることは出来ないなーということ、
こういったアタリマエのことを祈りによって実感するはずです。
祈りによって理解されることは、
生きていることそのものが祝福なんだな、
ありがたいなぁなんて感じること。
そして他の生き物のためにも、
自然、ダルマに逆らわないでおこうよ、
という選択がわたしたちの中で生まれてきます。
そういう考え、選択が普通に、自然に生まれてきます。
祈りによっておこることは、それ以外にもまだまだあります。
でも今日はこの辺で。
ダルマの説明は難しいよねーっとシヴァナンダヨーガ東京センターのマリオに話をしたら、
(マリオはとってもピュアな眼をもったフランス系のカナダ人で、間違いなく世界でトップクラスのヨーガの修行を積んでいる素敵なヨギーです。)
みんなダルマを「法」って言うから、自由を縛り付けるモノと解釈しがちで、
これはなんだかしたいことを止められるような嫌な感じするよね。
でも、ダルマは「自然な流れのこと」だよ、
と教えてくれました。
流れに逆らうと、大変だよね。
流れに乗っていると、ほら、楽に泳げるじゃない。
と。
マリオが言うと、魔法にかかったように「そうだそうだ、うーん納得するー」と感動してしまいます。
あ、僕のリスニング能力ではそう聞こえました。まちがっていたらごめんなさい。
長い文章になりました!
息切れしないように続けていきますね。
Hari Om Tat Sat
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